運の操り方について本気出して考えてみた!

考え方

皆さんこんにちは!
本日は趣向を変えて「運を操る方法」について話していこうかと思います。

今回の記事は筆者の考えが多分に含まれていますので、異論があって当然だと思います。

「私はこう思う!」とか「俺もそう思う!」とか思われた方は、コメントしていただけると非常にうれしく思います。

運について

まず、運を操る話をする前に、「運」とは何かを考えてみましょう。

Wikipediaによると、運は「人の力ではどうしようもない巡りあわせ。」だそうです。

さらに、その人の「意思」や「努力」ではどうしようもないとも書かれていました。

確かに「運命」とか「運頼み」とかそういった言葉からは人知の及ばない印象を受けますよね。

なんてこった!いきなり「運は操れない」と言われたようでちょっとしょんぼりしちゃいます。

幸運とは?

では、「幸運」とは何でしょう?
上記の運の定義に当てはめると、幸運とは人の意志や努力に関係なくその人に訪れる良い巡りあわせ。となりますね。

また、Wikipediaさんによると「運が良い(幸運、好運)とは到底実現しそうもないことを、偶然実現させてしまうことなどを指す。」とあります。

うん、確かに私たちには関与できない巡り合わせは確かにあるような気もしますね。

しかしこれじゃあんまりだ!
本当にすべての巡り合わせが偶然起きて、私たちはそれをただただ受け入れることしかできないのでしょうか?

筆者はここで、そんな現実にNo!を突きつけたいと思います。

運を操れると思う理由

では、筆者がなぜ「運を操れる」と思っているのか、その理由を書いていこうかと思います。

例えば2人の男性の前に好みの女性がやってきたとします。

これは早速チャンスが巡ってきましたね!アプローチをかけてみましょう!

Aさんは趣味は筋トレ、鍛えた体がキレッキレ!でもちょっと勉強は苦手…。

一方のBさんの趣味は読書。知的ではあるけどスポーツは大の苦手筋トレなんてとんでもない!

そして2人の前に現れたこの女性、実は体を鍛えているスポーツマンがタイプ。

結果は、Aさんのアプローチに答えて見事カップル成立となりました。

この女性は体を鍛えている男性がタイプだったのでAさんを選ぶ決定打となりました。

さてここで質問です!Aさんは「運がよかっただけ」なのでしょうか?

答えは半分YESで半分NOです。

Aさんの前にタイプの女性が現れたのは幸運だったかもしれませんが、このチャンスをつかんだ裏には、たゆまぬ努力で体を鍛えあげたと言う準備があったという事実がありますよね。

一方Bさんは体を鍛えるというじゅんびをしていなかったためにチャンスをものにできませんでした。

つまり、「巡ってきたチャンスは偶然」でも、チャンスをものにしたのは運ではなく「努力による下地があったから」なんです。

そして、後日。

女性にふられたBさん、だけどBさんは読書から得た知識がありました。

ある日、2人の男性に大きなビジネスチャンスがやってきました。

Aさんは体はキレキレですが、ビジネスに生かせる知識がなかったのでチャンスを活かせません。

一方、勉強熱心なBさんはたまたま巡ってきたビジネスチャンスのノウハウがあり、見事大きな成果を得ることができ、その後も多くの報酬を得ることができました。

これもBさんが日ごろから努力していつ来るか分からないチャンスに備えて知識を磨いていたからこそ掴みとれた幸運ですよね。

そうです。
努力は「巡ってくるチャンス」をものにする確率を上げてくれるんです。

おわりに

「運」とか「幸運」について筆者の考えをよんでいただいてありがとうございました。

皆さん、いかがだったでしょうか?

「運って操れるんだね!」という気持ちになっていただけたでしょうか?

今回は「不運」については語りませんでしたが、たまたま巡ってきたアクシデントを回避するのにも「努力」は役立つんですよ?

ただぼーっと待っていてもチャンスを幸運に帰る事はできません。

ただぼーっと待っていても不運を回避することはできません。

運が良いとは何でしょう?

それは、いついかなる時にチャンスが巡ってきても、いつだってそれを掴み取れる準備ができているか。だと思う筆者なのです

自分は運が悪いと思っている人、いつもあいつは運が良くていいなぁと思っている人、あなた自身は準備はできてますか?

それでは、今日はここまで!

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