[2/7]視覚障害者への誤解を解き放つ:知られざる真実と共生社会への一歩

その他

はじめに:誤解が生む壁を越えて

視覚障害者に対する誤解は、晴眼者が自身の経験を基に「見えない世界」を想像することから生まれます。
しかしその想像は、現実とは大きく異なり、視覚障害者の生活や能力に対する偏った認識を広めてしまうことがあります。
本記事では、よくある誤解を解きほぐしながら、視覚障害者の実際の生活や社会参加の姿を紹介し、共生社会への理解を深める一歩とします。

視覚障害とは?:定義と多様性

視覚障害には「全盲」と「ロービジョン(弱視)」があり、見え方は人によって大きく異なります。
全く光を感じない人もいれば、光の方向が分かる人、ぼんやりと物の輪郭が見える人もいます。
視力は比較的あっても視野が狭い、色の識別が困難、明るいとまぶしくて見えない、逆に暗いと見えないなど、症状は多様です。
原因も先天性から後天性、病気や事故によるものまでさまざまです。
これだけ多様なものを「視覚障害」のひとくくりでまとめてしまうと誤解が生じるのも無理もないですね。

様々な誤解

誤解①「目の前は真っ暗?」:見え方の多様性

晴眼者が目隠しをしたときの感覚をもとに「全盲=真っ暗」と考えるのは誤解です。
実際には、光を感じる人もいれば、視野の一部だけが見える人もいます。
視覚障害は「見えない」だけではなく「見えにくい」の連続であり、個々の見え方に応じた支援が必要です。
晴眼者でも、裸眼でも視力が良い人もいれば、眼鏡やコンタクトを装着しないと日常生活に困る人がいるように、視覚障害者も様々な見え方があるんですね。

誤解②「他の感覚が鋭くなる?」:訓練と経験の力

視覚障害者が音や触覚に敏感なのは事実ですが、それらの能力は訓練と経験によるものです。
聴力や触覚そのものが向上するわけではなく、残された感覚を意識的に活用する術を身につけているのです。
例えば、音の反響で空間を把握する「エコーロケーション」などは、長年の実践によって培われます。
点字による文字の認識についても訓練により習得するものです。
また、先天的か後天的かによってもその習熟度には差があり、すべての視覚障碍者が上記のような能力を有しているというわけでもありません。

誤解③「心の目で見える?」:非現実的な期待

「心の目で見える」という表現は、視覚障害者を神秘的に捉える偏見の一種です。
洞察力は誰にでも備わるものであり、視覚障害者だけが特別な感性を持つわけではありません。
こうした表現は、現実の困難を見えにくくし、支援の必要性を軽視する危険があります。

誤解④「夢を見ない?」:脳が描く世界

夢は目で見るものではなく、脳の働きによって生まれます。
視覚障害者も夢を見ますが、その内容は聴覚や触覚、嗅覚など、日常の感覚に基づいて構成されます。
視覚的な経験が少ない人でも、豊かな夢の世界を持っています。

誤解⑤「音だけで判断できる?」:情報の限界

音は重要な情報源ですが、すべてを把握することはできません。
物の形や色、質感などは音だけでは分かりません。
かわいい動物の写真を、いくら言葉を尽くして説明しても想像するに留まります。
視覚障害者は、触覚や匂い、環境音や周囲の人からの言葉による情報提供など、複数の感覚を組み合わせて状況を判断していますがそれらも想像や予想の範囲を出ません。
「音声情報さえあればどうにでもなる」という誤解は危険です。
「百聞は一見に如かず」です。

支援技術とツール:生活を支える工夫

視覚障害者の生活を支える技術は進化しています。
白杖や点字、音声読み上げソフト、スマートフォンの支援アプリなどが日常を支えています。
GPS連動のナビゲーション機器や、AIによる画像認識ツールも登場し、より自立した生活が可能になっています。

社会参加と活躍の場:教育・仕事・文化

視覚障害者も教育や就労、文化活動など、さまざまな場面で活躍しています。
特別支援学校やインクルーシブ教育の場で学び、職場では合理的配慮のもとで働いています。
音楽、文学、スポーツ(ブラインドサッカー、ゴールボール、マラソンなど)でもその才能を発揮しています。

視覚障害者の声:体験から学ぶ

『見えない・見えにくい』ことをどう感じているかについても、当事者の中でも様々な考え方があります。
先天性の視覚障害者と後天性の視覚障害者、全盲とロービジョン、障害を負って間もない人と長年経っている人、様々な境遇の人たちがいるため、異なった考え方があってしかるべきです。
以下、筆者が見聞きしたことのある考え方をいくつか紹介します。

「見えないと不幸だ」

視覚を失うことに対して強い喪失感を抱き、「人生の質が大きく下がった」と感じる人の考え方です。特に後天的に失明した場合、以前の生活とのギャップが大きく、悲しみや絶望を感じやすい傾向があります。

「人生終わった」

視覚障害を人生の終わりのように捉える極端な表現です。突然の障害や支援の不足、社会的孤立などが背景にあることが多く、精神的なサポートや周囲の理解が必要です。

「見えないことは不便だけど、不幸ではない」

視覚障害による不便さは認めつつも、それが人生の価値や幸福を決めるものではないとする前向きな考え方です。支援や工夫によって充実した生活を送っている人に多く見られます。

「見えないからこそ築けた縁がある」

視覚障害を通じて出会った人々や得られた経験に感謝し、障害が人生の新たなつながりを生んだと捉える考え方です。障害をきっかけに社会活動や表現活動に取り組む人もいます。

「見えないことで得られた感覚の豊かさがある」

視覚以外の感覚(聴覚・触覚・嗅覚など)に意識が向くことで、世界の感じ方が豊かになったとする考え方です。自然の音や人の声の微細な違いに気づくようになったという声もあります。

「見えないことは個性の一部」

視覚障害を「欠けたもの」ではなく「自分らしさの一部」として受け入れている考え方です。障害を否定せず、ありのままの自分を肯定する姿勢が感じられます。

「見えないことで社会の不便さに気づいた」

障害を通じて、社会の構造や情報の偏り、バリアの存在に気づいたという考え方です。その気づきが、社会改善や啓発活動への意欲につながることもあります。

「見えないことに慣れてしまった」

長年視覚障害と共に生きてきた人が、日常の不便さを受け入れ、特別な感情を抱かなくなったという考え方です。淡々とした現実受容の姿勢が見られます。

「見えないことを隠したい・知られたくない」

周囲の偏見や過剰な同情を避けるために、障害を隠したいと感じる人もいます。特にロービジョンの人に多く、見えにくさを説明することに疲れてしまうケースもあります。

「見えないことを誇りに思っている」

視覚障害を乗り越えて得た経験やスキルに誇りを持ち、「自分は強くなった」と感じている人の考え方です。障害を通じて得た成長や達成感が背景にあります。

「見えるようになりたいと思うこともある」

現在の生活に満足していても、技術の進歩や治療の可能性に希望を持ち、「いつか見えるようになりたい」と願う人もいます。これは今の自分を否定するものではなく、未来への希望として語られます。

これらの多様な感じ方や考え方を知ることには、以下のような深い意義があります:

1. 共生社会の実現に近づく
障害者の感じ方を理解することで、偏見やステレオタイプを減らし、誰もが安心して暮らせる社会づくりに貢献できます。
「かわいそう」「特別な存在」といった一面的な見方ではなく、個人として尊重する姿勢が育まれます。

2. 多様性への理解が深まる
同じ「視覚障害者」という枠の中にも、感じ方や価値観が大きく異なることを知ることで、「障害者=こういう人」という固定観念を崩すことができます。
多様な声を知ることで、より柔軟で思いやりのある対応が可能になります。

3. 適切な支援やコミュニケーションができるようになる
相手の考え方や気持ちを理解することで、声かけや支援のタイミング、方法が適切になります。
例えば、「見えないことを隠したい」と思っている人には、過度な介入を避けるなどの配慮ができます。

4. 教育・啓発に活かす
学校教育や福祉研修などで、障害理解を深める教材として活用できます。
実際の声を知ることで、理論だけでは伝わらない「生きた理解」が得られます。

5. 当事者との対話のきっかけになる
多様な考え方を知っておくことで、視覚障害者との会話や交流がスムーズになります。
「どう感じているか」を聞く際にも、相手の立場に立った質問ができるようになります。

6. 自分自身の価値観を見直す機会になる
「見えないことは不便だけど、不幸ではない」「誇りに思っている」といった考え方に触れることで、自分の「幸せ」や「困難」の捉え方にも変化が生まれるかもしれません。

おわりに:誤解を解き、共に歩む社会へ

私たち視覚障害者に向けられる誤解は、時に心を傷つけ、孤独を感じさせることがあります。見えないことを「かわいそう」と言われるたびに、「私はそんなふうに見られたいわけじゃない」と、胸の奥が少し痛みます。

でも、誰かが私たちのことを「知ろう」としてくれるだけで、その痛みは少し和らぎます。誤解は、知ることでほどけていきます。そして、言葉を交わすことで、心の距離が少しずつ近づいていくのです。

私たちは、ただ「見え方が違う」だけ。夢を持ち、努力し、笑ったり泣いたりしながら、毎日を生きています。その姿を、特別視するのではなく、「一人の人間」として見てもらえることが、何よりうれしいのです。

道を譲ってくれること、声で情報を伝えてくれること、見えにくさを否定せずに受け入れてくれること——そんな小さな優しさが、私たちの世界を大きく支えてくれます。

誤解を解くことは、ただの知識の修正ではありません。それは、心の壁をそっと取り払い、「一緒に歩こう」と手を差し伸べることです。

この記事が、誰かの心に届き、「知るきっかけ」になってくれたなら——それは、私たちにとって、かけがえのない一歩です。

それでは今日はここまで!

コメント

  1. リンゴ より:

    全盲になったことはほんとに悲しいし今でも見えてた頃を思い出してやるせなくなるけど全盲になったから出会えた人たちと繋がれたことはほんとによかったと思います

    • ニック ニック より:

      人との出会いって本当に人生にとって大切なことですよね。出会えた人たちと繋がれてよかった。そう言えるということはりんごさんの周囲には素敵な人たちがいらっしゃるのでしょうね!

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