はじめに:「見えていないのに…?」残存視力への誤解とロービジョンの現実
前回までの記事でもお話ししましたが、視覚障害者に対する最も根深い誤解の一つは、「視覚障害者=全く目が見えない(全盲)」という固定観念です。
この思い込みは、残存視力を持つ「ロービジョン」の人々が日常生活を送る中で、不必要な疑念や困難に直面する原因となっています。
今回は、そんなロービジョンの人たちが抱える現実と、周囲の誤解について一緒に考えていきましょう。
ロービジョンを取り巻く誤解
「白杖を持っているのにスマホを触っているのはなぜ?」
多くの人々が「視覚障害者=全く見えない(全盲)」という固定観念を持っているため、白杖を持っている人がスマートフォンを操作していると、「本当は見えているのではないの?」という疑念を持ちます。
しかし、これは大きな誤解です。
以前も紹介した通り、視覚障害者の約7割は「ロービジョン(弱視)」であり、視力や視野に何らかの障害を持ちながらも、残存視力を活用して生活しています。
ロービジョンの人たちはスマートフォンの拡大表示機能や、VoiceOverなどの音声読み上げ機能を使ってデバイスを操作しているのです。
「見えてるじゃない!」このような疑念を直接ぶつけることは、視覚障害者にとって「視覚障害者のフリをしている」と非難されるようで、非常に辛い経験となります。
実際に、この経験から公共の場でスマートフォンを使うのをためらうようになる人もいます。
周囲の誤解を避けるために、自身の自立を助けてくれるツールを使うことを躊躇せざるを得ない状況に追い込まれることがあります。
「白杖は全盲の人だけが使うもの?」:白杖の多様な役割
白杖は全盲の人だけでなく、残存視力があるロービジョンの人も、見えない部分を補う道具や人的サポートと併用して使用します。
白杖の主な役割は、路面の状況や障害物を検知して安全を確保すること、そして周囲に視覚障害があることを知らせるシンボルとしての役割も非常に大きいのです。
例えば、わずかな段差や障害物でも、視覚障害者にとっては転倒のリスクとなり得るため、白杖による事前確認は安全な移動に不可欠です。
さらに、白杖は視覚障害者だけでなく、聴覚に障害のある方や平衡機能障害(姿勢を調節する機能の障害)を持つ人が、安全のために持つこともあります。
これは、白杖が移動上の安全確保を目的とした国際的なシンボルであるためです。
白杖を地面に突かずに浮かせて持っているだけで「偽の視覚障害者」と誤解されるケースもあり、知識不足が当事者を傷つける原因となることがあります。
「眼鏡をかければ見えるようになるのでは?」
ロービジョンの方の視力低下は、眼鏡やコンタクトレンズで矯正できるものではない場合が多いです。
視界の混濁や、視野の欠損、光の感受性の異常など、眼鏡では補えない要因が関係しています。
「文字が読めるなら普通に生活できるのでは?」
視覚障害者が文字を見る際、文字のサイズや距離、環境(明るさやコントラストなど)によって大きく左右されます。
例えば、電光掲示板や標識の文字は読めても、紙に書かれた文字は読めないこともあります。
「見えているなら支援は必要ないのでは?」
ロービジョンの方は、視力や視野などに限界があるため、一見大丈夫に見えても移動や情報取得に支援が必要な場面が多くあります。
支援の有無は「見える/見えない」だけでは判断できません。
「ロービジョンの人はみんな同じように見えている」
ロービジョンは多様な状態があります。例えば:
- 視野の一部が欠けている人
- 周辺視野が狭い人
- 明るい場所で見えない人
- 暗い場所で見えない人
- 物がぼやけて見える人(全体的にピントが合わない)
- 視野がゆがんで見える人(物の形が歪んで見えるなど)
- まぶしさに過敏な人
- 色の判別が難しい人
- 動いているものを捉えにくい人
ロービジョンは一人ひとり異なるため、外見だけで見え方を判断するのは難しいものです。こうした多様な見え方があるという理解が広まると、より思いやりのあるサポートや環境づくりにつながります。
おわりに
「視覚障害=全盲」という考え方は、いまだに社会の中に根強く残っています。この思い込みのせいで、少しでも見える力がある人が白杖を使ったり、スマートフォンなどのテクノロジーを使ったりすると、「本当に目が見えないの?」といった疑いの目で見られてしまうことがあります。
この疑念は、しばしば「本当に目が見えないのか?」といった直接的で踏み込んだ質問や、好奇の視線として現れ、視覚障害者にとっては非常に苦痛で苛立ちを覚える経験となります。
このような感情的な負担や、公衆の面前での判断への恐れは、視覚障害を持つ人々がスマートフォンを使用したり、さらには公共交通機関を利用したりすることを避けるといった行動の変化につながる可能性があります。
誤解や対立を避けたいという思いから生じるこの自己制限は、社会からの孤立を招き、自立した生活や社会参加の機会を著しく減少させます。
この問題の解決は、単に間違った認識を直すだけではありません。
それは、「社会が持つステレオタイプに合わせるか」、「公衆からの視線と精神的な苦痛を受け止めるか」といった、視覚障害者が悩まされる選択をなくしていくことでもあります。
見え方にはたくさんの違いがあることを知ることは、偏った見方や誤解を減らし、心のバリアをなくしていくために大切な一歩です。
こうした理解が広がることで、視覚に障害のある人もない人も、それぞれが安心して自分らしく暮らせる社会へと近づいていきます。
まずは「見え方にはたくさんの違いがある」ということを知ること。それが、互いに思いやりを持って歩んでいくための大切なスタートラインです。
それでは今日はここまで!
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